その情熱を誰も止めるな―『映像研に手を出すな!』

各所で評判の高い『映像研には手を出すな!』遅ればせながら見始めたのだけど、評判に違わず素晴らしかった。最新話まで追いつけていないのだけど、ここが良かった〜〜って言いたいことがありまくるので書く。

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物語の主役担うのは、この3人。

小さい頃の夢は冒険家、設定や機械の構造が大好きで、オリジナル世界のイメージボードを書き溜めている浅草みどり。

徹底したリアリスト、金儲けのチャンスは決して逃さない、口八丁で全てを丸め込む頭脳派ヤクザの金森さやか

カリスマ読モで家も金持ち、社交的で愛想もいい。だがその実態はオタク気質のアニメーター志望、水崎ツバメ。

3人が出会う舞台は、芝浜高校。校舎は増改築を繰り返した結果、ダンジョンのごとき複雑怪奇な建築物へと発展しており、その造形はレトロフューチャーのような趣があって、未来都市や秘密基地を連想させて、それだけでもう楽しい。

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「芝浜高校を舞台にアニメを作りたい」という野望を持つも、人見知りで行動には移せずにいた浅草みどりは、一人で設定画を描き続ける日々を送っていた。そんなある日、同学年の水崎ツバメがアニメーター志望であることが発覚し、二人は急激に仲良くなる。

古ぼけたコインランドリーで、浅草の設定画の上に水崎の描いたキャラクターが、陽の光に透かされて重なった瞬間。まだ動いてもいないのに、そこにアニメーションの命が宿るのを見た気がした。

 

そこから、水崎の描いたメカを起点に、浅草と水崎のイマジネーションが奔流のようになだれ、溢れていく。

「アームとかウィンチつけたいっす!」「こんな感じで昆虫っぽいのはどう?」「これだと着陸できないっすね」「尻尾もつけてトンボみたくしたい!」

ラフ画で表現されたのイメージの世界の中で、二人の想像力は無限かつ自由に広がって、小さなメカを羽ばたくトンボ型飛行機へと作り上げていく。

最初の起動がうまくいかないトンボを、操縦席に浅草、外から金森、水崎が押していく。3人の力が合わさることで、今何かが起ころうとしている。そんな、革命前夜のような予感。

機体が走り出し、浅草が叫ぶ。

「二人とも乗り込めー!」 

追っ手を逃れ、トンボは縦横無尽に飛び回る。高いビルに囲まれた閉鎖空間の隙間をくぐり抜けた時。

ラフ画だった世界は完成されたアニメーションへと一変し、3人は、そこに広がる宇宙――“最強の世界”を目の当たりにする。

頭の中にしかなかった想像の世界が、現実になる瞬間。

「すごい絵が見えた気がしたんだけど」

現実のコインランドリーで水崎がつぶやく。その「体験」に、私も3人と一緒に呆然として頷くしかない。

 

そうして、浅草みどりを監督、水崎ツバメをアニメーター、そしてそこに金の匂いを察知した金森さやかがプロデューサーを買って出て、3人のアニメ制作計画が動き出す。

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「好き」という気持ちが生み出すエネルギーは無尽蔵だ。チートと言ってもいいくらい。「映像研」を見ているとそれを思い知らされる。

例えば、誰に見せるわけでもないのに描き続けてきた、浅草の200冊近くにものぼる探検日記。人見知りなのにアニメの話になった途端饒舌になり、タイプの真逆な水崎と意気投合していく様子。通学時間まで使って画を一人で描き続ける水崎。どれも楽なことではない。

でも、二人はやりきってしまう。なぜって、それが好きで、楽しくて仕方ないからだ。「なぜこんなこと」なんて思うより先に、手が動くからだ。

誰かのためでも、何かのためでもない。ただ好きで、ただやりたい、という純粋な欲望は、外野に揺らがされることがない。質量保存の法則を丸無視した、最強のエネルギーだ。

 

そうして作り上げた初制作アニメーションを、予算審議委員会で生徒会役員を前に披露する。

セーラー服にマスクの少女が戦車と戦う、ストーリーらしいストーリーのない、たった3分程度の無声アニメーション。映像が流れ出した途端、会場にいる人たちはその世界に呑み込まれていく。戦車が荒々しく通り過ぎ、少女が疾走し、爆発するその風を、振動を感じ取る。

生徒会役員が呆然としながら呟く。

「こいつら予算なくてもやるタイプじゃん」

「こいつらに予算渡したらどうなるんだろうな」 

「好き」のエンジンが爆発させた力は、嵐のように周囲をねじ伏せていく。

超厳格な生徒会から、予算を華麗にもぎ取ったように。

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浅草みどりと水崎ツバメのことばかり書いてきたけど、その実、この作品で一番重要なのは、そして私が一番好きなのは金森さやかである。彼女の存在がなければ、この作品はもっとありきたりな部活ものだったと思う。

金森はアニメ自体にはそこまでの関心はなく、活動に参加したのも「カリスマ読モの水崎が作るアニメなら金になる」という理由。金森は作画には関わらないし、浅草と水崎の暴走しがちなアイデア出しにも口を挟まない。

プロデューサーである金森の役割は、外部折衝、資金繰り、スケジュール管理など、「制作」以外のほぼ全て。夢を膨らませるのが浅草と水崎の役目だとすれば、「現実」の部分を担っているのが金森だ。

 

「夢を見る」というのは、ある意味では楽だ。自分の夢を掲げてそれを追いかけていくのは、苦しい時はあるとしても、基本的には楽しいものだ。応援もしてもらいやすいし、こだわりの追求も美談と捉えられる。

けれど、夢を膨らませているだけでは空は飛べない。誰かがきちんと企画を立てて、予算を取ってきて、場所を確保して飛行の許可を取って、現実という足場を組んでくれなければ夢は夢物語のままだ。そして、そういう現実の作業は、いつだって裏方だし、時には嫌われ役だ。その役割を金森は率先して引き受け、なおかつ十二分にこなしてみせる。

 

作画の大幅な進行遅れに対し、カラーではなく白黒アニメへの変更、動画ソフトの使用など、現実的な案を次々提案。それでもこだわりたくてぐずぐず言う制作二人を、金森は一刀両断する。

「間に合わないと意味がないんです!」

「プレゼンさえ通れば予算が手に入るんです。そしたら作りたいものを好きなだけ作ってください」

 

夢を、頭の中で見るだけなら簡単だ。

自分の好きなところ、こだわりたい部分に時間をかけるのは楽しい。でも、それでは現実で飛行機を飛ばす日はこない。現実を見据え、折り合いをつけることができなければ、夢は永遠に自分の頭の中にあるだけだ。

夢を現実に引っ張り出すために、言いづらいことを躊躇なく言ってのけるプロデューサー金森、とにかくかっこいい。賞賛の拍手を送りたい。

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作品を彩る音楽もドンピシャにハマっている。

OPは女性ラップデュオchelmicoの“Easy Breezy”。聴くものを翻弄するようなカオスでパワフルなサウンドが、無尽蔵に湧き出る映像研メンバーのアイデアとエネルギーを思わせる。

リリックも《誰に頼まれたわけでもないのに/止まらね〜筆》だの《ただ好きなもんは好き 外野お黙り》だの《見たもん聞いたもん それ全部血になる/飛べる 飛べ》だの、隅から隅まで最強に最高〜〜アゲ!って感じで、聴いてるだけで無敵、周りの意見なんかカンケーねえ、なんでもできるぜ、という気持ちになる。

 

一方、EDの神様、僕は気づいてしまった(バンド名です)の“名前のない青”は打って変わってど真ん中の青春ソングという感じ。各話の終わりに駆り立てるようなギターのイントロが流れ出すとそれだけでもうたまらない気分になる。

《想像が現実を凌駕して/重く垂れた雲が散った/その景色を遺せたなら》

《千年後の知らない誰かの生を/根底から覆すような/鮮やかな色》

高校の部活、という限定された時間。きっと一瞬で過ぎるのその間に、どこまで行けるのか。

「青」は清廉の色、そして未完成の色だ。だからこそ無限の可能性を持つ。駆け抜けるようなメロディが爽快だ。

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『映像研』を見ていて気持ちいいのは、プロフェッショナルを描いているからなのだと思う。

彼女たちは高校生で、映像研究会は同好会だけれど、その姿勢はプロと遜色ない。監督、アニメーター、そしてプロデューサー、それぞれが自分の役割を理解し、果たしている。時にぶつかり合うことがあっても、その主張は、自分の役割を全うするためのものだ。そこには仕事に対するプライドがあるし、相手に対するリスペクトもある。

そんな衝突の先にはより良い解が待っているとわかるから、やりあっているシーンさえ、むしろ創作の最前線を垣間見ることができてワクワクする

 

そんなプロフェッショナルを創るのは、やっぱりきっと「好き」のエネルギーなんだろう。こんなものを創りたい、妥協したくない、見る人に楽しんでほしい。細部に至るこだわりが、プロ意識へとつながっていく。

「その情熱をだれも止めるな」なんてタイトルにしてみたけど、もとより止められるはずがない。

だって「好き」という情熱は、説明不能で無尽蔵なチートエネルギーだから。