今さら『宇宙よりも遠い場所』を見てめぐっちゃんにボロ泣きさせられた話

2018年に放送されたアニメ『宇宙よりも遠い場所』――通称「よりもい」。

女子高生4人が、それぞれの目的を胸に抱き、南極へ行く物語だ。テレビ放送当時、たまにタイミングが合うと見ていて、歯抜けにしか見ていないながらも良作だなと思っていた。

ネットフリックスのラインナップに追加されていたので、改めて1話から見始めたのだけれど、もー泣いた。各話ごとにしっかりと泣かされた。

 

南極で帰らぬ人となった母への踏ん切りのつかない想いを抱え続ける子や、民間団体として南極へ向かう観測隊の想いとか、泣かせポイントはたくさんあるのだけれども、私に一番刺さったのは「めぐっちゃん」だった。

 

「めぐっちゃん」というのは、ヒロインの1人・キマリの幼馴染の友人だ。

おっちょこちょいでお調子者のキマリを助けてくれる、クールなしっかり者。何かあればキマリはめぐっちゃんに相談して、めぐっちゃんは「しょうがないな」という顔をしながら手を貸してくれる、そんな関係性。

「めぐっちゃん」のキャラ造形がまずとてもいい。メガネ・三つ編み・センター分けというザ・優等生みたいなビジュアルなのに、口調は「~だろ」「~したのか?」ととてもサバけている。こんなおさげメガネ見たことない。見たことないけど、別に乱暴者とかじゃなくてもこのくらいの喋り方をする女子高生は普通にいる。リアルだ。とてもいい。

 

アニメの世界の女子高生って、バカっぽさとか百合一歩手前の距離感の異常な近さとか強調されすぎた「女子」で描かれることが多い。正直「この時代にまだこんな女子像を見せられなきゃならないのかよ」と思うことが多々ある。

現実の女というものを知らねー奴が作っているのか、時代遅れなことはわかっていても視聴者層が追いついていないから古臭い記号的な「女子」を使うしかないのか、なんにせよ、だいぶうんざりしている。

 

正直、キマリに関しては「この子はここまでバカっぽくしなきゃいけなかったのか?」という疑問があるのだけど、それを除くと「よりもい」のキャラクターはそういう意味でみんなリアルだ。媚びたところや誇張されたところがほとんどない。納得して見られる。

その中でもやっぱり特に、前半にしか登場しない「めぐっちゃん」が良い。

 

青春したいと思いながら、ぐずぐずして一歩を踏み出せずにいたキマリ。「南極へ行く」と言い続けて周りから馬鹿にされている同級生の報瀬と出会い、感化されて、自分も南極へ行きたいと思うようになる。

報瀬ちゃんとあんな話をした、あんな場所へ行った。犬みたいに、新しい発見も旅への不安も逐一報告するキマリに、めぐっちゃんはいつもクールだ。でも、冷静な顔をしているからわかりにくけど、だんだん「おや?」と感じるポイントが出てくる。サポートしてくれているようでいて、めぐっちゃんがキマリの南極行きにあまり肯定的じゃないことが透けて見えてくるのだ。

その民間団体、資金不足って言われてるよとか、うまくいかなかったら後悔しそうだから無理しすぎないでねとか。南極への憧れを語るキマリにかけるその言葉は、心配しているようでいて、人の憧れを少しだけ貶めるようないやらしさがある。報瀬のことをいつまでの「南極」という蔑称で呼ぶのも、そう。

 

めぐっちゃんは、絶対に表立って反対したりはしない。感情的にもならない。

あくまでも自分は冷静で、正しくて、あなたのことが心配なのだ、という顔をして、少し上からの立場を崩さない。決して。

 

楽しそうな人、何かを始めようとしている人、軌道に乗りそうな人に釘を刺したくなること。足を引っ張ってくる奴。そういう時、その人は必ず、めぐっちゃんと同じく「私は正しい」という顔をする。自分が嫌だからとか、自分がこうしてほしいんだとか、それが自分の感情由来であることを絶対に認めない。「心配だから」とか「あなたのことを思って」とかいう仮面をかぶる。

 

だけども、敢えて断言したい。誰かが何かを「好き」とか「やりたい」とポジティブな感情で言ったことにネガティブな意見をつけるのは、「100%」邪魔だ。余計なお世話だ。

なぜなら、それを言われた時、自分の大事なものや、前向きな気持ちを穢された気持ちになるからだ。「あなたのため」と言いながら、そのセリフは相手の、もっと大切にしなければいけないはずのものを踏みつけている。

 

南極計画と新しい人間関係に夢中のキマリは気づいていないけれど、画面のこちら側から見ていていると、めぐっちゃんの、底なし沼から手を伸ばすようなほの暗さがだんだんと際立ってきて、2人の会話を見ているのが嫌になってくる。

 

だけど、こういうことは、ある。普通に、ある。

おっちょこちょいなキマリを助ける立場にいためぐっちゃんは、その関係性が崩れるのを怖れていた。頼られることで自分を確立していたのに、キマリに別の友達ができて、強くなって、自分を頼らなくなっていくのが怖かった。

 

「私が何も持っていないから、あなたにも何も持たせたくなかった」

 

出発の朝、キマリの前に現れためぐっちゃんはいつもの冷静な仮面を脱ぎ捨てて、泣きながら言う。

キマリと話すめぐっちゃんは、嫌な奴だった。心配するふりをして足を引っ張ろうとする姿は醜かった。キマリがめぐっちゃんから言われたような言葉を、私も言われたことがあって、嫌な気持ちになった。

 

でも、私はめぐっちゃんのことを嫌いになれなかった。だってめぐっちゃんの気持ちもわかるから。「置いていかないでよ」と思う気持ちがわかるから。

そして、めぐっちゃんが、ただ嫌な奴のはずがないと思うから。だって、本当にただの嫌な奴だったら、悪い奴だったら、2人はこんなにずっと一緒にいないと思うから。キマリがめぐっちゃんに対して屈託なく笑ったりしないと思うから。

全部が嘘だったわけじゃないと思う。2人が仲良しだったのは本当だと思う。

人間関係の感情の純度が100%なんてことはない。仲が良いから好意しかない、なんてあり得ない。仲が良くても、仲が良いからこそ、こういうことが起きる。

だから人と関わることは怖いし、リアルだし、それを物語の前半で、しかも作品の主題でないところでぶち込んでくる「よりもい」がすごすぎる。

 

めぐっちゃんは、たしかにちょっと嫌な奴だった。

でも、このくらいの「嫌なところ」を持ち合わせていない奴なんか一人もいないと思う。だとしたら、「私は正しい」という殻を破って、「あなたに何も持たせたくなかった」と本音をぶちまけためぐっちゃんが、私は嫌いになれない。というか、好きだ。

嫌な部分全くなしに生きていくのは不可能だ。でも、本当の分かれ目は、嫌な奴になってしまった後にある。嫌な奴のままでいるのか、そこから挽回できるか。そんな時には、めぐっちゃんでありたいと思う。